千葉話し方コミュニケーションズ 

 

   開催 : 第2・第4 木曜日

   時間 : 13時~15時

   場所 : 千城台コミュニテイセンター

   住所 : 千葉市若葉区千城台西2丁目1-1

   電話 : 043-237-2241

   交通 : モノレール千城台駅から徒歩2分

        バスはJR千葉駅から「千城台車庫」行き「千城台駅」下車徒歩

        2分

 

 

   入会金: 1,000円

   月謝 : 2,000円

 

   お問い合わせ: 電話 043-232-5072

           携帯 070-3970-2408

 

   連絡先 : 足利 恵政

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

 

    「 私 が 目 標 と し て い る 人 」 

 

 私は学校を卒業すると同時にアメリカへ旅立ちましたが、特に目的はありませんでした。父の危篤で千葉へ戻り、24歳の時に旭市の設計事務所に勤めることになりました。そこには1年先輩の1級建築士の鈴本さんおられましたが、折り目正しい好感のもてる先輩でした。

 その先輩が独立することになり、社長から、鈴本さんの退社をやめるよう説得して欲しいと依頼されましたが、引き留めることができませんでした。

 35歳の時、私も土木関係の仕事を立ち上げました。資金100万円を独立の一部として、鈴本さんがポーンと出してくれたのです。お金のない時期で本当に有り難かったです。

 その後、仕事のアドバイスや取引など、たくさん鈴本さんから学ばせて頂きました。彼に比べ私は人格的にも劣っているかも知れませんが、常に鈴本さんをお手本にして頑張っていきたいと思っております。私は目標のもてる、よき友人をもって幸せ者です。 (50代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    受講生 話し方コンクール出場 入賞作品(努力賞)

 

 

      「 話 し 方 を 学 ん で

 

 私が話し方教室に通うようになってから4年が経とうとしています。

 教室に入るきっかけは、親しくしている人たちとはいくらでも楽しく話せるのに、初対面の方や、男の人、年齢の違う人とはお話ができず困っていました。このままではいけないと思い「千葉話し方コミュニケーションズ」に入会させて頂きました。

 最初の頃は、3分間スピーチでは心臓がドキドキし、話しの内容もチンプンカンプン、何を話しているのか分からない状態でした。そんな私が2年半くらいすると少しずつ変わってきたのです。だんだんと上りも少なくなり、スピーチの実習課題を頭の中に反芻し、どのように話したらよいかを常に考えるようになりました。                                                   

 話す内容の必要な事柄を、本やパソコンで調べたり、新聞を読むときでも、話す話材はないか意識しながら読むようになりました。                 

 こんな時、姪の結婚式に参列したときのことです。突然司会者より祝辞を頼まれたのです。何の用意もない私はとても驚きましたが、姪の幼いころの記憶を辿って、勇気をもって丁寧にお話することができたのです。これは私をはじめ、周りの人たちからも、よく即興でスピーチができたとビックリされました。

 また、コミュニテイ祭りでは、他のサークル発表の司会者募集があり、私は積極的に手を挙げ、無事司会の大役を果たすことができました。

 これらのことは、話し方を学び続けてきたからこそ、出来たのだと思います。

 これからも先生の指導のもと、楽しい仲間たちと学び続けたいと思っています。

                          (50代 女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

   「 私 の 夢 」

 

 会社を創業して今年で29年経ちました。来年、社長の座を退き、若い後継者に譲りたいと思っております。

 会社の生存率は10年で6.3%。1,000社設立で63社しか生存してないのが統計で示されております。そして設立30年に於いては、0.021%の生存率。ほぼ「0」に近い状況の中、よく頑張ってこれたと思っております。

 業績も順調で、因みに日本の黒字会社は30%。あとの70%は赤字で税金を払っていません。こういう状況の中、生き残りは並大抵のことではありません。

 退職後は当面連帯保証人として、会社を外から応援していくつもりです。

 これから後輩達が、どのような会社に育てていくか、50年先はみることは出来ませんが、100年以上ず~と続いて欲しいと........。私の楽しみの一つの夢です。(60代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 受講生の3分間スピーチ

 

  「 不 思 議 な 出 来 事 」

 

 母が亡くなる20数年前の出来事です。

 私はまだ30代の頃で、主人の仕事の関係で山梨県に住んでおりました。

 当時、母の病気は重く、寝たっきりでほとんど意識はありませんでした。木更津の病院で、私と妹が変わるがわる看病しておりました。

 父は膀胱ガンで、すでにこの世にはおりませんでしたが、いつも頭もすっきり整え、ダンデイでおしゃれの父でした。

 病院には床屋さんがあり、患者やお見舞いの人の髪を整髪しておりました。

 母が亡くなる直前、その床屋の主人が病室にやって来て、「男の人に頼まれて、お母さんの髪を切りに来ました。きれいにしてあげて下さい。と言われて来ました」と言うのです。私は「人違いじゃありませんか?」と糺しましたら「いや間違いない」と母の名前をきちんと言ったのです。その時は病態は悪化しており、整髪どころの騒ぎではありませんでした。

 その直後母は帰らぬ人となりました。あの時、整髪を頼んできたという男の名前と特徴を、なぜ聞き出さなかったのか、今となって悔まれます。

 先日、夜の11時頃、お風呂に入ってこのことを思い出していたら、体中寒くなり、硬直し主人を大きな声で呼んでいました。不思議なことってあるのですね。

                           (50代 女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  受講生 話し方コンクール出場  入賞作品(敢闘賞)

 

 

    「 話 し 方 を 学 ん で 」

 

 私が「千葉話し方コミュニケーションズ」で勉強しようと思って参加したきっかけは、町会長を引き受けることになったからです。

 私の住んでいる町では、町会長は順番にやらなくてはなりません。私はいままで人前でお話しすることが、全くできませんでした。それで話し方を学んでから、話し方だけでなく分かったことがあります。

 人は生まれ持ったDNAで決まると思っていたのです。すなわち、大勢の前で上がらないのは、上がらないDNAを持っているからだと思っていました。それは大きな間違いでした。

 話し方を学んでからは上りも少なくなり、性格も明るくなり、積極的に行動するようになりました。

 趣味も増え、ガラス工芸やパソコン教室にも通い、友達もたくさん出来ました。そして町会の会合でも平常心で発言出来るようになり、地域の活動にも積極的に参加するようになりました。

 先日も台風で壊れた近所の家のベランダや簡単な家の修理を得意の日曜大工で直し、人に喜ばれるようになりました。このように積極的になったのも、話し方を学んだお蔭です。

 もっと早く話し方を学んでいれば私の人生も変わっていたと思います。現在、私は68歳ですが、今からでも遅くない!やれば出来る!と思っています。

 今、この様な場で、こうして私が話しているなんて昔の私では想像できません。

 これからも、今まで学んだ話し方を生かし、人の為に役立つ人間になるよう頑張っていきたいと思います。 

 「話し方を学んで」についてお話しました。ありがとうございました。               

                      (60代 男性)   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  受講生の3分間スピーチ

 

   「 私 の 友 人 」

 

 40年前に船橋でスナックを経営しておりました。その当時川崎製鉄(現・JFEスチール)に勤めておられた方がお客として見えておりました。彼は活動的で全国に旅行したり、海に潜ったり、釣りなどをして人生を楽しんでいました。そんなことから彼とうまが合い、いつしか遊び友達となりました。私の父親が亡くなったときには、葬儀にも参列して下さいました。

 一昨年、定年と同時に彼は高知県室戸岬に引っ越し、家を新築しました。建て前には呼ばれ、新築中の屋根から餅を撒きました。それからは毎年春から秋にかけて彼の家を訪問。彼の持っている船で海釣りに行きます。魚は大きくマグロ、イサキ、真鯛、アジなどが入れ食いの状態で釣れます。釣った魚は近所の人達と共に庭でバーベキューです。釣果を自慢したり、魚との闘いの話題で尽きません。

 また釣った魚は、市場にも出され一石二鳥。趣味が実益になっているとのことでした。

 彼の手は、釣りでグローブのように膨れ上がり、顔は真っ黒です。

 今年も室戸へ行って大きな魚を釣ることを、今から楽しみにしています。

 私の友人についてお話しました、 (60代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

        「 楽 し い 仲 間 」

 

  今、楽しく付き合っている仲間のお話を2つしたいと思います。

先ず1つがゴルフです。ゴルフは23歳から始めて40年になりますが、現在も続いているゴルフの会があります。その会の名前は「朝の会」と名付け20年になります。メンバーは8名で早朝にゴルフを行い、そのあとは飲み会。飲み会の場所は、田んぼの真ん中にあるひなびた酒場。お酒、料理が美味しく、ワイワイとゴルフ談義に花を咲かせ、今まで欠席した人は誰一人おりません。

 2つ目は飲み会です。ある経営者の勉強会に、女性が入会してきました。その女性はスナックのママで、飲み会をそのスナックのママの店で、月1回開いています。名前を「MSUSUBI会」と名付け6年続いています。メンバーは当初5名から現在14名になり、カラオケやダンスと、次が待ち遠しいくらい楽しい会になっています。

 ゴルフの会や飲み会には、私は代表や幹事となっており、話し方を勉強しておりますので良いチャンスと思い、必ず最初のあいさつをします。ここでも話し方が生かされております。  (60代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

   「最近、ペ ッ ト が 捨 て ら れ て い る 」

 

 先日、公園内にありますトイレに入りましたら、犬がうつむいているのです。

 犬の大きさは40~50センチほどの中型犬で、ペットショップで買うと10万~20万円はすると思われる茶色の犬でした。

 外のベンチに座っている人に「どなたか飼い主の犬がトイレにいますよ!」と言ようとしたら、中年の女性が近づいて来て「トイレに犬がいませんでしたか?」と逆に訊いてきたのです。私は「いましたよ」と答えると、その女性は「あの犬は捨てられた犬で、前の足が一本折れていて、片方の目が見えない犬です。可哀そうで、可哀そうで、どうしたらいいか分からない」と言うのです。

 私はその場を離れましたが、その犬のことがず~と頭から離れず、翌日も、また翌日も、また翌日も、公園に行ってみましたが、その犬はおりませんでした。

 私の住む近所に、猫が3匹捨てられています。餌を食べていませんからやせ細り、ふらふらして歩いています。可哀そうにと思い、隣の家の方と相談して餌をやることにしました。

 このように最近ペットが捨てられています。ペットを捨てた理由はいろいろとあるかと思いますが、ペットを飼うなら、最後まで面倒を見て欲しいと、思ってる次第です。   (50代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

   「 寂 し く 悲 し い 別 れ 」

 

 先日、高校時代のバスケット部の友人から、会いたいという電話があったので、横須賀に行ってきました。

 当時のバスケット部との交流は、時々行っておりましたが、特に会いたいというのです。

 お話と言うのは、「がんに私は侵されている。癌ガンマ治療は行っているが、薬などは一切飲まないことにした」そして「いつ亡くなってもいいようにと、別荘や自分の身辺をいま整理しているところ」というのです。

 彼女は趣味として陶芸を習っていたのですが、その作品の一つを形見として、私にくれました。

 いろいろと懐かしい思い出話をいっぱいして、横須賀中央駅ホームまで送ってくれました。これが最期とは思いたくありませんが、涙がとどめもなく流れ、寂しく悲しい別れでした。もう涙が止まりません。 (60代 女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

  「 説 得 し た 思 い 出 ば な し 」

 

 高校3年生のとき、仲良し8人グループをつくって行動していました。

 仲良しグループは私を含め、皆運動クラブに属しており、バレー部4人、バスケット部の4人でした。

 その中の4人が1年生に対して暴力を振るい、新聞にも載った事件を起こし、先生からは「退学だ!!」と言われました。

 4人は退学になったら家出すると言い出し、私は家出をやめるよう説得し続けましたが、その効果なくお金をかき集め、家出してしまいました。

 10日ほど経ってから、その4人から私の家に電話があり、親に怒られるので帰れない。どうしたらいいか分からない。と言う相談でした。

 親には怒らないよう説得するので、とにかく帰って来て欲しいと4人を諭し、熱海で会うことにしました。

 4人とも頬はやつれ疲れ切っておりました。食堂で食事をさせましたが、4人とも腹ペコで、ご飯をかき込むように、各々3人前平らげました。腹が減っていて、相当こたえていたようでした。

 その後、この4人は退学とはならず、停学ですみ、各々大学に進みました。

 若き日の、説得した思い出ばなしでした。  (70代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生 話し方コンクール出場 入賞作品(新人賞)

 

   「 私 の 大 切 な 人 」        

  

  私の大切な人についてお話します。

 私は5人家族で妻と3人の娘と一緒に暮らしています。今日は家族の中でも一番のムードメーカー的な存在でもあり、一番の家族思いでもある長女の話をします。

 娘が中学を卒業するまでは、子供中心の生活で休日は家族揃っていろいろな所へ出かけたり、運動会の時は朝4時に起きて場所とりをし、家族揃って応援をしたものでした。

 一緒にいる時間が本当に幸せで楽しい毎日でした。そんな長女も今は大学3年生。都内の大学に通っています。今年の夏には、親の力を一切借りず、アルバイトを3つも掛け持ちをして、一生懸命貯めたお金で、カナダのバンクーバへ一人でホームステイに行きました。小さい頃はおとなしく、人見知りだった子がいつの間に一人で決断をし、いつの間に一人で行動できるようになったんだろうと思うと、娘の成長の速さに驚いています。

 先月、私の父が他界した時のことです。私たち家族が落ち込んでいるのを見て、いつもの以上の笑顔とジョークで、私たち家族を元気づけてくれました。

 また、私のおばあちゃんの趣味がマージャンなので、おばあちゃんを交えて家族4人でみんなで楽しくマージャンができるようにと、いま一生懸命ルールを覚えているところです。本当に家族思いの優しい娘です。

 娘の笑顔で、家族みんなが元気になります。娘の優しさで、家族みんなが幸せになります。そんな娘が大好きです。    (50代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

  

  「 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 能 力 が 身 に つ い た 」

 

 私は小さいながらも4人を雇い、リホーム会社を経営しております。仕事は主に内装関係が中心ですが、リホームは皆さんもご存知かと思いますが、クレームの多い業界で、顧客との人間関係が悪いと、すぐクレームが来て、困難を極めます。

 私が話し方を勉強しようと思ったきっかけは、顧客との人間関係をどう構築していくかを身につけるために、この千葉話し方コミュニケーションズに入ったのです

 仕事で大切なことは、お客様の話をよく聞き、意図するところをくみ取り、顧客とのコミュニケーションを取りながら、作業を進めていくことだと思います。

 今年はそれが良い結果に繋がり、顧客からのクレームは一件もありませんでした。そんな良い成績をおさめたのも、話し方教室でコミュニケーション能力を養ってきたせいかも知れません。

 これからもしっかりと仕事と話し方、頑張っていく所存です。(40代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

  「 話 し 合 い の 重 要 性 さ を 知 っ た 」

 

 年に1~2回教室で話し合いをしていますが、先日の話し合いは「生き残る人たち」というテーマで話し合いが行われました。

 地球破壊で生存できず、選ばれた代表が宇宙船に乗って、地球から宇宙に逃れるという想定で、人選選びの話し合いが行われました

 まず、各々一人ひとりが人選をし、そのあと受講生みんなで話し合ったのです。

 結果は、自分一人で選ぶより、みんなで話し合って決めたほうが、より正解に近い人選ができることが分かりました。

 これには正直びっくりしました。「3人寄れば文殊の知恵」という諺がありますが、1人より2人、2人より3人で話し合ったほうが、よりよい結果が生まれるということが、この話し合いで証明されました。

 結果がすべてではありませんが、何か問題の起きた時、自分を過信することなく、みんなの意見を聞きながら判断していきたいと思った次第です。参考になるいい話し合いでした。   (30代 女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  受講生の3分間スピーチ

  

  「 忘 れ ら れ な い 一 言 」

 

 私の父は自営業をしていましたので、大学二年生のある日、父の仕事を手伝う約束をしておりました。私はその頃、マージャン、サーフィン、酒と結構遊んでいました。

 約束していたある日、徹夜マージャンを楽しんでお昼頃家に戻りました。ドアーを開けた瞬間、私の眉間にパンチが入り、3メートルほど私は吹っ飛ばされました。何がなんだか分らず、殴った相手の顔を見ると、2つ上の当時空手部だった兄でした。

 兄は「親との約束は破るんではない! 守れない約束はするな!!」ときつく叱られました。

 兄の一言で目覚めました。決められた約束はきちんと守るのが当たり前です。それ以来人との約束は必ず守るよう努力してきました。

 叱られた経験も、今では懐かしい思い出話となっております。

 「忘れられない一言」をお話しました。 (50代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  受講生の3分間スピーチ

 

          「 平 成 の 思 い 出 」

  

   私の会社人生は、平成に始まって平成で終わったような気が致します。と申しますのも、平成元年に会社を興した時には、日経平均が過去最高の3万8,915円をつけた年で、バブル期の絶頂期にありました。複数の知人は気前よく1,000万円を出資してくれ、あの時助けてもらった恩は、今でも忘れたことはありません。

 その時の年齢は35歳でした。年齢的にも働き盛りで、馬車馬のように働いた結果、会社は順調に成長致しました

 50歳になった時に、東金市倫理法人会から入会のおさそいがあり、躊躇することなく会員になりました。その後真面目に通っておりましたら、平成23年に会長の話が舞い込みました。

 会長は大勢の前でお話をしなければなりません。人前でのお話が苦手な私は、どうしたらよいか思案しておりました。その時この話し方教室があるのを知り、即入会、お世話になって8年になりました。

 会社は去年、平成30年に社長を退き、会長として残っておりますが、社員の邪魔にならないよう、陰ながら応援していくつもりです。

 「平成の思い出」私の会社人生は、平成に始まって平成で終わったというお話を致しました。 (60代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  受講生の3分間スピーチ

 

    神 野 寺 の ト ラ 騒 動

  

 千葉県には高い山はありません。最高で南房総市にある愛宕山が408m、2番目が君津市にある鹿野山が379mです。

 その鹿野山の中腹にある神野寺のトラ騒動についてお話したいと思います。

 この神野寺は聖徳太子により、推古天皇の時代598年に創建された関東地方最古のお寺と伝説されています。宗派は真言宗智山派だそうです。

 この寺の境内には住職が飼っていたトラがいました。

 昭和54年(1979年)8月2日、皆さんも記憶に残っていらっしゃるかと思いますが、この飼っていたトラ12頭のうち、3頭が逃げ出しました。

 1頭はすぐ帰ってきたのですが、2頭が行方不明となり、千葉県警察本部や消防署、猟友会500人が出動、捜索にあたりました。周辺など住民の外出が禁止となり物々しい警備となりました。

 8月4日朝メス1頭が、そして27日にオス1頭が発見され、即射殺されました。

 人々からは「何も殺さなくてもいいのに」という批判があった事件でしたが、身の危険にかかわるという理由で射殺したのだと思います。

 今は語りぐさになっている、神野寺のトラ騒動についてお話しました。

  (70代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  受講生の3分間スピーチ

 

    知 床 半 島 の 旅

 

  先日北海道へ姉のお墓参りのついでに、知床半島へ旅してきましたので、それについてお話いたします。

 知床半島は皆さんご存知のように世界遺産に登録されており、多種多様な生き物が生息しており、自然の宝庫になっています。

 ガイドさんの説明によりますと、東に位置する羅臼岳の原生林には、哺乳類のクマやエゾシカ、鳥類ではシマフクロウ・オジロワシ・オオワシなどが生息。世界的に貴重な越冬地になっています。

 また海洋では、流れ出た豊富なアムール川の水はプランクトンを増殖させ、そのプランクトンを狙って小魚が。小魚を狙って、タラ・サケ・マスが。それを狙って

トド・ヒグマ・イルカ・マッコウクジラ。鳥類ではシマフクロウ・オジロワシ・オオワシが知床半島に集結、大自然のドラマが展開されています。

 私が行った時でもクジラが雄大に潮をふいていて、貴重な光景を見ることができました。皆さんも知床半島に是非行ってみて下さい。 (60代 女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

     野 良 仕 事

 

 我家には先祖が残してくれた1反ばかりの田畑があります。今までは仕事が忙しく、手入れをする暇がありませんでした。でも、妻が片隅に花を植えたりして、少しは利用してきましたが、相変わらず草が生えていました。そんなことで、いつもこの田畑のことが頭から離れませんでした。

 仕事の責任も軽くなりましので、今年からこの田畑の作業に、精をだすことにしました。

 農作業を始める前に小型耕運機を購入、素人ながら田畑を耕しました。

 ところが耕運機で土を掘り起こした後に、たくさんのすずめやムクドリ、カラスが集まってくるのです。どうしてかな?と思っていました。

 掘り起こした土からは、いろいろな虫やミミズが掘り起こされ地表に現れます。 

 それを鳥たちが食べに来ているのだと分かりました。鳥たちの頭の良さに降参です。

 耕した畑にはナスやきゅうり、トウモロコシ、ピーマンなどたくさん植えました。収穫を今から楽しみにしている今日この頃です。 (60代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  受講生の3分間スピーチ

 

     夏 の 思 い 出

 

 海が大好きで20歳前後の学生の頃は、九十九里や大原、勝浦海岸へ連日のようにサーフィンや泳ぎに行っておりました。

 夏のある日 男性2人で行った海岸で、とてもきれいな女性二人と出会いました。一日そのきれいな女性たちと泳ぎ回り、楽しく過ごし「また会いましょう」と約束し、名前と電話番号を聞き出しました。今のようにまだ携帯電話のない時代です。

 はやる気持ちを押さえ、早速彼女たちの家に電話をしました。まず西 友子さん。電話はつながったのですが、西友のカウンターでした。もう一人伊藤 洋子さん。この方にも電話し、つながったのはイトーヨーカドーでした。

 トンチのきいた二人の女性。残念ですが一杯食わされた感じです。もてる二人は名前と電話番号を聞かれたときに、示し合わせていたのだと思います。若い頃の 夏の思い出でした。 (50代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  受講生の3分間スピーチ

 

    会 社 が S D G S に 加 盟

  

 この度 会社がSDG(エス・デー・ジーズ)に加盟しましたので、今日はバッジをつけて来ました。SDGSとは Sustainable Development  Goals の略称で、日本語に直しますと「持続可能な開発目標」と言うのだそうです。

 これは2015年9月 国連サミットで採決されたもので、国連加盟 193国が 2016年から2030年の15年間で達成する目標とのことです。

 目標には 17項目 があり主には、貧困ををなくす・すべての人に健康と福祉を・質の高い教育を・気候変動に具体的な対策を・働きがいも経済成長も・平和と公正をすべての人に など 経済・社会・環境 の分野に於ける指針が示されています。

 これらの目標を世界が範を示し、持続可能な世界になるよう開発し、変えていくというのがSDG です。

 会社としてもこの指針にのっとり、本業を通して社員と共に協力していく所存です。 (60代 男性)

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

  受講生 話し方コンクール出場 準優勝(千葉市教育長賞)

 

    「 娘 の 反 抗 期 」

 

 いつもの通り、夜遅く帰って来る高校2年生の娘を待っていると、1本の電話が鳴ったのです。警察からでした。

 娘はヘルメットもかぶらず、バイクの後ろにまたがり、事故を起こしたとの事でした。幸い娘には、怪我はなかったのですが、保護者である私たちが呼ばれたのでした。

 妻と警察署に着き、中に入ると、奥の長椅子に、雨にうたれて震えている娘を見つけました。と次の瞬間、妻は鬼のような形相で歩み寄り「死んだらどうするんだ!!もっと自分の命を大切にしなさい!」と、怒鳴りつけ娘をひっぱたいたのです。          

 その後私たちは家に戻り、今日の出来事も含め、反抗期の娘と本気で向かい合い「娘の思っていること」「私達両親の思い」「社会のルールと生きていく上での最低限のマナー」など朝までとことん話し合いました。

 そして話し方を学んできた経験を活かし、私なりに答えをみつけました。それは「娘が間違った事をした時は、娘のことを思って真剣に叱る」それと「とにかく娘を信じて見守る」ことでした。

 話し方の講義の中で、コミュニケーション能力も学びました。それを実行してから1年が経ちます。今では実践してきたかいもあり、娘は以前より断然良くなりました。そろそろ反抗期も卒業です。

 今は話し方を学んで良かったと心から実感しています。「娘の反抗期」についてお話ししました。 (50代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   受講生の3分間スピーチ

 

      継 続 は 力 な り 」

 

 「継続は力なり」というテーマでお話したいと思います。

 随分昔のお話ですが、父が亡くなりました。葬儀の時、長男の私は弔問客にあいさつをしなければなりません。でも上がるのを恐れてお酒を飲みすぎて、赤恥をかいてしまいました。

 その後、自治会の役員の順番がやってきました。もう逃げることは出来ません。 意を決してこの話し方教室に通って8年4か月。

 話し方を始める前は、親戚付き合いも面倒で、厄介者扱いの感じでした。

 それが今では、親戚の中心となり、何でも相談にのったり、お手伝いをし重宝がられる存在となりました。

 自治会でも会長を務め、相談ごとや簡単な修理など、なんでも声がかかるようになりました。先日もテレビの調子が悪いという電話で駆け付け、直してきました。

 また会合で、突然スピーチの指名がありましたが、対応できました。以前の私でしたら尻込みすることでしょう。

 このように話し方を勉強してからは、私自身人生が変わりました。

 「継続は力なり」を本当に今は実感しています。 (70代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  受講生の3分間スピーチ

 

   河 津 桜 ま つ り 見 学

 

 先日、河津桜まつりに行ってきました。当日はお天気が良く、河津川沿いには約850本の河津桜が咲きほこり、それに様々なお店が並んでおりまして、目と味覚を楽しんできました。

 ガイドさんの説明によりますと、河津桜は1955年(昭和30年)に飯田勝美さんが河津川沿いの雑草の中に1本、1メートルほどの原木を偶然発見しました。それを自分の庭先に植えたことに由来しているそうです。

 河津桜は大きな花と濃いピンク色が特徴で、オオシマザクラとカンヒザクラの自然交雑種と推定されているとのことでした。

 1974年(昭和49年)にカワズザクラ(河津桜)と命名され、河津川添えに植えたことで観光化。河津町や伊豆急などに多くの経済効果をもたらしているそうです。

 今は各地に移植され、たくさんの人たちに親しまれております。

   (60代 女性) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   受講生の3分間スピーチ

 

   「 行 っ て み た い 星 」 

 

  行 てみ たい星は「土星」です。皆さんはどうかな....と思いネットで調べてみました。結果は1位が木星、2位が土星、3位が火星でした。

 どうして私は土星に行きたいのか。それはあの大きな美しいリンクが魅力的なのです。そして土星の衛星、タイタンにも行ってみたいのです。このタイタン、水星よりも大きいのだそうです。

 この土星の不思議な恒常的なリンク。このリンクは岩や氷から出来ているそうで、最初に発見したのがガリレオ・ガリレイとのことでした。

 土星は太陽から遠く離れていますが、それでも太陽からは6番目の惑星。大きさは木星に次いで2番目に大きく、地球の約9倍とのことでした。

 私はこのリンクの上に乗って、約14億3千㎞離れている青い地球を眺めたり、 あの圧倒的な大きさの木星の、大赤班を是非見たいと思っていますが、夢のおとぎ話ですね。 (50代 女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講者の3分間スピーチ

 

  カ ラ オ ケ で 高 得 点 を 出 す  コ ツ

 

 カラオケで高得点を出すコツについてお話いたします。

 私の通っている市原にありますカラオケ店のマスターはプロです。この店には一見客は来ません。マスターは常に95点以上の点数を出していますので、その秘訣について教えて頂きました。

 マスター曰く。95点以上の点数を出すには、一定の声量が必要との事でした。歌をブツブツきっては聞き苦しく、当然高得点にはつながりません。

 練習の方法として、お風呂が絶好の場所。即ち、お風呂のお湯と唇が、丁度唇のあいだ位にお湯が来るようにし、一定の量で、安定感をもってさざ波をつくります。それを30秒間続ける練習をするのだそうです。

 そしてプロの歌を聴き、それを何回も練習をし録音する....。それの繰り返しで上達するとの事でした。

 早速実行に移しました。先日カラオケ店でなんと96点が出たのです。

 皆さんも是非コツを見習い、カラオケで高得点を出しみては如何でしょうか。

  (50代 男性) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

    母 を語 る 

 

  私は早くに父を亡くし、母親の手によって育てられました。 

 家には、沢山はありませんでしたが、いくばくの田畑がありました。私が小学生の時、遊んで家に帰ると家の中は薄暗く、誰もいません。お腹は減って仕方なく、母親を呼びに行きます。

 母親は薄暗くなるまで、水のはった田んぼで田の草取りをしています。作業着の背中は真っ白です。というのは当時も蚊が多く、蚊に刺されないようにDDT(殺虫剤)を着物にふりかけ作業をしておりました。その上、中腰で田の草を取りますので、稲の尖った葉が目に入り、両目が真っ赤に腫れあがっていました。人手のない我が家は、母親が一人で田畑を耕さなければなりません。子どもながら母親の大変さを身に沁みておりました。

 その母親は今はおりませんが、現在はいい除草剤も開発され、機械化されているとの事でした。

 母を語るを終わります。 (60代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  受講生の3分間スピーチ

 

    青 春 時 代 の 思 い 出 

 

 私が高校2年生の時の、青春時代のお話をします。

 当時、クラスの担任の先生は大学出たての、積極的な明るい男性教諭でした。その先生から「夏休みに、海へキャンプに行こう」とクラスに提案がありました。参加したのは男女合わせて13~14名位だったと記憶しています。

 行った先は、新潟県と山形県の県境、住所的には山形県ですが、松尾芭蕉の奥の細道に出て来る有名な「鼠が関海岸」です。

 「鼠が関海岸」に到着しますと、当時流行りの平尾昌晃の曲が、海岸中に響き渡り、ウキウキした気持ちを更に掻き立てていました。

 昼間は海で泳いだり、潜ると「さざえ」がいくらでも採れるのです。その採った「さざえ」を夜のキャンプファイヤーで焼いて皆で食べました。更にキャンプファイヤーの光に誘われたのか知りませんが、25~30センチ位の魚が海岸の波うち際に集まってきていました。それを手づかみで捕まえ、串差しにしてキャンプファイヤーの火で焼いて食べるのです。

 「さざえ」や「魚」が手づかみで採れるなど、自然がいっぱい。今では考えられない青春時代の思い出話でした。 (70代 男性)

 

 

 

     

 

 

 

 

 

  受講生の3分間スピーチ

 

   反 省 し て い る 事

 

 先日 娘の卒業した大学から電話があり、「娘さん宛てに手紙を出したが返却されてきた。  現在住んでいる住所を教えて欲しい.....」という内容の電話でした。娘は結婚しており同居はしておりません。

 私は大学という言葉で躊躇なく住所を教えてしまいました。電話を切ってから

しまった!!と思い、心臓がドキドキしました。

 今、犯罪が多発しております。人を信用して個人情報を教えるべきではありません。

 すぐ娘に電話をし謝りました。そして怪しい電話や手紙が来たら、気を付けてほしい旨話しました。

 私はなんてバカなのか。このような時は考える時間を持ち、対応をすることが大切である、と反省した次第です。 (60代 女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

    猫 と の 別 れ    

 

  猫との寂しい別れについてお話します。それは20年前、我が家に猫が迷い込んできました。捨てられた猫で、餌も食べていないのでしょう。痩せこけていて、私の家から離れようとはしませんでした。可哀相に思い、隣の家と相談をし、外で共同で飼うことにしました。外で飼うのは両方とも家に猫を飼っていたからです。名前もリーちゃんと名付け、雌猫でしたので、不妊手術をし、小屋も作って大切に飼っておりました。

 その猫も20歳となり、20歳は人間で言うと100歳くらいだそうです。最近は毛も薄くなり、餌は食べるのですが痩せ、まん丸の目も細くなり、今年の夏は越せるか、心配していました。

 先日、私が歩いていると、リーちゃんんとバッタリ会いました。私が「リーちゃんどこへ行くの?私と一緒に帰ろう!」と言ったのですが、私を無視するように行ってしまいました。その日がリーちゃんとの最後の別れでした。20年も住み慣れた土地を捨て、死に場所を探して歩いていたのでしょう。りーちゃんの気持ちを考えると、胸が熱くなりました。

 せめて土に埋めて、お線香をあげてやりたいと思い、方々探したのですが、見つかりませんでした。20年も飼っていた猫です。いないとやはり寂しいものです。 (60代 女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  受講生の3分間スピーチ

 

    私 の 部 屋  

 

  昔は住宅事情が悪く、平屋建てで、一家が一部屋で寝ていた時代もありました。今は住宅事情も改善され、一人一部屋、個室の時代となりました。

 私には3人の子どもがおり、3人とも一人一部屋を使っていました。私達夫婦は一階の部屋に追いやられた感じでした。

 今は三人の子どもも独立し、私達夫婦二人暮らしとなりました。二階の部屋が空いたので、夫に「二階に移動したら....」と言ったのですが、夫は面倒だからと言って、移動しませんでした。

 そこで私は今、三部屋を独り占めして、優雅に過ごしています。先ず一部屋はテレビやラジオがある私の寝室です。二部屋目は、パソコンを置いて、仕事部屋となっています。三部屋目は、着物部屋です。叔母がたくさんの着物を持っていましたが、亡くなりました。そのすべての着物を私が形見として頂き、出かける時にはその着物を着て、外出しております。

 そのようなことで、私の部屋は三部屋、晴れ晴れとした気分で過ごしています。 (60代 女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

    献  血

 

 世の中に少しでも役立ちたい......と思っていた時期がありました。考えた結果、私の体を健康にしてくれた恩返しと思い、献血をすることにしました。

 早速、献血ルームに通い、献血しましたが、私の血液型はO型です。O型は意外と少ないんだそうですが、献血をするとカードに印が押され、その印が増えるのが楽しみだったんです。また飲み物などいろいろと頂け、結構楽しんで献血していたように思います。

 そんな時、献血ルームの方から、「ご一緒にボランティア活動でもしませんか」と声をかけられ、暫く考えてOKしました。

 ボランティア活動はスタッフのお手伝いをしたり、お客さんへの呼びかけなど、生き生きと活動していました。

 今は年を重ね、献血は容易にはできませんが、献血活動は一つの思い出として残っています。 (60代 女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

   ふ る さ と 自 慢 

 

  私のふるさとは京都市です。かっては日本の首都で、歴史ある仏教、寺院、庭園、皇居の宮殿や御所、神社などがあり、文化の発祥地と言ってもいいくらいです。そんなことで古いイメージをもっている方もおられるかと思います。でも古いイメージだけではありません。3つの代表的な会社を擁しています。

 まず1つ目は任天堂です。任天堂はトランプや花札から会社を興し、今やゲームソフトの先端技術をゆく、世界の任天堂が京都市にあります。

 2つ目はオムロンです。1933年の創立で、昔は立石電機と言っていました。

 私はOL時代この会社の前を通って通勤していました。オムロンはオートメーションのリーデングカンパニーとして工場の自動化を中心に製造しており、身近なものとして駅の自動改札機や太陽光発電関連を作っています。

 3つ目は島津製作所です。島津製作所は歴史も古く1875年に創業。分析計測機器や医用機器、産業機器を製造しています。有名なのが2002年ノーベル化学賞受賞の田中耕一さんが在籍した会社です。

 このように京都市は、文化や先端技術をもつ私の誇れるふるさとです。

 (50代 女性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

  私の尊敬する人

 

 私が尊敬する人は父です。現在はリタイアしていますが、現役時代は営業マンとして一生懸命に働き、帰ってきたら仕事に関する勉強をしていました。

 でも父は仕事と遊びにメリハリをつけておりまして、旅行や釣りによく連れて行ってくれました。特に海釣りは、早朝4時頃起き出し船宿に着くのは6時頃。眠い目をこすりながら岩場から糸を垂れていますとすぐ魚が食いついてきます。もう眠いどころではありません。魚と格闘です。

 また父は器用な人で、味噌や醤油をつくって近所に配っておりました。本当にアグレッシブな生活をしていたように思います。そんな父の後姿を見て育ちました。

 私は今50代ですが、尊敬する父のような趣味はもっておりません。でも今密かに好きな趣味を生かした活動を考えています。今は言えませんが定年後に向けて、私は好きな趣味で楽しみたいとウキウキした気持ちでいます

  (50代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

     悲 し い 光 景

 

  先日病院の待合室でお金を支払うために順番を待っていました。

 そうしたら手押し車におばあさんを乗せた車を偶然目にしました。

 おばあさんは具合が悪いのでしょう。首はうなだれ苦しい状態でした。ところが手押し車を押している人に目を転じますと、ご主人と思われる80歳を超えた?おじいさんでした。そのおじいさんは腰が曲がっており、そのうえ足が悪いのか杖をついて足を引きずって手押し車を懸命に押しています。自分の歩行さえ困難なのに.....。

 あまりにも悲しい光景に ”自分の子供はいないのか” ”介護をする人はいないのか” と半分怒りを感じました。同時にこれが日本の老老の現実なのか!としみじみ考えさせられました。

 私も60代後半。いつかこうなるのではないか?それには安心して暮らせる社会づくりは大切ですが、いざ!となったとき、子供の協力は欠かせません。今からよく子供たちと話し合っていきたいと思った次第です。 (60代 男性)

 

 

  

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

  成 長 し た 孫 娘 

 

  大学二年の孫娘から聞いた話をします。

 ある日電車に乗っておりますと、顔は真っ赤。更に顔からは汗が噴き出ている高校生と思われる学生が、電車に乗ってきました。

 娘は医学関係の勉強をしておりますので、すぐ熱中症の疑いがあるのでは?と思ったそうです。偶然降りる駅が一緒でしたので、娘は心配で彼の後をついて行きました。駅を降りた彼はコンビニに立ち寄ったので、冷たいお茶を買って彼に渡すとき「あなた熱中症では?」と声をかけたそうです。

 そして途中倒れるといけないので、家まで送って行くことにしました。家族に事情を話し感謝されたと言っていました。

 子どもと思っていた孫娘。こんなに成長したかと思うと嬉しく、これからも遠くから静かに見守っていきたいと思っています。  (60代 男性)

 

 

 

 

 

 

 

 受講生の3分間スピーチ

 

   好 き な こ と が で き る 喜 び

 

 50歳になった時、主人から「今の仕事を辞め、自分の好きなことをこれからやっていいよ!」と言われました。「ヤッホ~!ヤッタ!!」私は飛び上がって喜びました。

 今まで主婦業、子育て、家計のやり繰り、仕事とたくさん働いてきたのでそのご褒美と思い、主人の言葉に甘えることにしました。

 私は頭を使うのと手先はダメ。体力には自信があるので先ずはダンス。次にフラメンコと次々に習いましたが二つとも私には不向きでした。

 そして今夢中になっているフラダンス。フラダンスはハワイの伝統的な踊りで、世界で一番美しい踊りと言われています。裸足で踊るのですが私にはピッタリ。それに笑顔が大切ですので一石二鳥です。

 今はフラダンスを始めて24年。私の生きがいです。これからも体の続く限り踊りまくり、楽しみたいと思っています。 (70代 女性)